TOOL Maniacs


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TOOL Biography


APCの予想以上の好評ぶりによる
活動の長期化などもあり、
一時はTOOL解散説が
流れたほどでもあったが、
楽器隊3人はMaynard不在時に
協力して作曲を始めていた。
そしてAPCの活動が区切りを迎えた
2000年秋からTOOLは4人で再始動。
同年12月に過去のPVを収めた
DVDまたはVHSと、ライブ音源などを収めた
CDがセットになった"Salival"が限定で発売された。
(日本盤未発売で現在は入手困難)

そして2001年についに
3rdアルバム"Lateralus"が発売。
世界的に大ヒットとなり、
TOOLの知名度は格段に上がることになる。
各地のフェスなどにも精力的に参加し、
FUJI ROCK FESTIVAL 2001で
TOOLとして初来日。
そのあまりに凄いパフォーマンスは伝説ともなった。
翌2002年4月、初の単独来日公演を
皮切りに世界ツアーを敢行。
このときの来日公演もあまりの凄さに
多くのファンが陶酔した。
(私が参戦した東京2公演は、
Live Reportsにてレポート掲載)
その後も世界を精力的に回り、
各地のファンを虜にする。
Ozzfestなどのフェスにも数多く参加している。
2002年終盤まで各地でライブ活動。
一連の活動に区切りを打つ。

2003年からMaynardは
A Perfect Circleを再始動。
QOTSAへ加入したTroy、
ZWANへ加入したPazの後任として、
元Marilyn MansonのTwiggy Ramirezこと
Jeordie White、
さらに、レコーディング後には
元The Smashing PumpkinsのJames Ihaが加入。
世界中の音楽ファンから驚きと喜びの声が上がる。
2ndアルバム発売と共に精力的に活動。
2003年10月、さらに翌2004年3月と2回の来日も果たし、
国内のファンを狂喜乱舞させた。
本当に凄い演奏であった。

一方DannyもTOOL結成前に参加していたメタルバンド、
"Pigmy Love Circus"の
アルバム、ツアーに参加。
King CrimsonのAdrian Belewの
ソロプロジェクトにも、
PrimusのLes Claypoolらと共に参加するなど
精力的に活動していた。

2004年春から、再びTOOLの楽器隊3人が集結。
曲の骨子を作り始めた。
APCのツアーは6月頃に区切りを迎え、
Maynardも復帰すると思われたが、
急遽大統領選挙を前に反戦色の強い
カバーアルバム"eMOTIVe"
DVD+RemixCDの"aMOTION"を制作。
前回同様活動が長期化した。

2005年からはTOOLとしての活動が本格化。
しばらく表だった動きは
うかがい知ることができなかったが、
年末に突如Lateralusから
"Schism" / "Parabola"の2作品が
DVDシングルという形で発売
(日本盤も2006年2月と3月にそれぞれリリース)
そのパッケージに貼られたシールに
"LOOK FOR NEWTOOL RELEASE - SPRING 2006"
という文字が躍り、
ファンの間に狂喜にも似た期待感がわき上がる。
毎度ながら徹底した情報管理がしかれて
正確な情報が全く流れず、憶測だけが飛び交う中、
ついに2006年5月2日(日本盤は10日)に
待望の4thアルバム、"10,000 Days"が発売。
世界中のファンを一瞬にして魅了した。
同時にツアーも開始。米国内、欧州を巡った後、
8月のSUMMERSONIC2006にて
待望の来日を果たし、新たなファン層を獲得した。
翌2007年2月に再来日、
その荘厳で完璧な演奏に多くのファンを魅了した。

"10,000 Days"発売に伴うツアー終了後、
再びバンドとしての活動は休止状態になるが、
Maynardは"Puscifer"名義で
新たなプロジェクトを立ち上げる。
APCの活動でも親交のあるDanny Lohnerらと共に
前衛的、実験的なサウンドが特徴的。
映画"Underworld”のサウンドトラックなどの他、
オリジナルアルバム"V is for Vagina"を発売した。
Pusciferは音楽だけにとどまらず、
グッズ開発・販売なども積極的に行うなど
総合エンターテイメントプロジェクトとしての
様相を呈している。
また、かねてより造詣の深い
ワインについてもワイナリーや
テイスティングルームのオーナーを務めるなど、
ワイン業界からも注目を浴びることとなる。
また、そのサウンドから実現は
不可能と思われていたライブも敢行。
演奏だけでなく仮装などを交えた
独特なステージでファンを魅了した。

TOOLとしての活動はしばらく動きがなかったが、
2009年夏からフェスティバルなどを
中心にライブ活動を再開している。





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