The Smashing Pumpkins Maniacs
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History Part.2 1994-1996
2ndの大成功に気をよくした
取り巻きが囲む中、
Billyは前作を超えるアルバムを
作り上げる決意をし、制作に取りかかる。
プロデューサーには新たに
U2やNINなどで知られるFlood、
My Bloody Valentine、NIN、
Blurなどを手がけ、
エンジニアとしても敏腕と名高い
Alan Moulderを迎え、
前作とは違うメンバーの
自主性に任せた環境の中で
"まるで工場のように"
大量の楽曲をレコーディングする。
そして、周囲の反対を押し切り
2枚組に及ぶ大作3rdアルバム
"Mellon Collie and the Infinite Sadness"
が完成する。
「過去に成功したダブル・アルバムなんて
数えるほどしかない」、
「Billyは抑制がきかず作った楽曲を
すべてリリースする気だ」などの悪評も飛び出る中、
実際に1995年10月に
Virginからリリースされるないなや、
いきなり初回出荷が100万枚を超え
チャート初登場1位も獲得、
全世界で1000万枚を超えるセールスを記録し、
13カ国でチャート1位となる。
ちなみに、このアルバムからバンド名に
"The"がついて、
"The Smashing Pumpkins"と名乗っている。
この成功を元に全世界をまわる
怒濤のツアーの日々が続くことになる。
96年の来日公演の際は2部構成
180分近くにも及ぶステージを披露した。
アルバムのセールスは大好調、
ツアーの観客動員も伸びる一方と
バンドとしても絶頂期を迎える。
しかしなによりもファンを大事にする彼らは、
世界中のファンの前で出来るだけ多く
ライブを披露したいという思いの一方で、
Jane's AddictionのDave Navarroに
「もしも俺だったら気が狂うっちまうね」とまで
言わしめるほど
あまりにも過酷なスケジュールが続き、
メンバーの疲労・精神状態も深刻な状態になっていく。
そんな中、ツアーでサポートキーボディストを
勤めていたJonathan Melvoinが、
N.Y.のホテルでドラッグの
オーヴァードーズにより急遽死亡、
その場にいたJimmyも
一時逮捕されてしまうという事件が起きた。
Jimmyの命さえ危険だと感じたBillyは、
彼の命を守るためやむなく
Jimmyをバンドから解雇することに。
スタッフ:「この頃のJimmyは、
まるで自分の死さえ
恐れていないような状態だった。
だからBillyはJimmyが一番恐れていたこと、
つまりバンドから追放する事を実行したのさ。」
Jimmy:「それまでロック・スターってのは
グラマラスなイメージだったけど、
今ではなんだか汚いモノに思える。
あの時のBillyの対応には感謝しているよ。
最後まで俺を見捨てないでくれたからね。
もしも俺がBillyの立場だったなら、
もっと早く俺の首を切っちまったろうよ。」
この時期の前後には
NirvanaのKurt Cobainが自殺、
Alice in ChainsのLayne Staleyや
Stone Temple PilotsのScott Weilandなど
共にオルタナティブシーンを
牽引してきた仲間たちも
深刻な中毒に苦しんでおり、
Pumpkinsではドラッグには手を出さないと
暗黙のルールがあったのだが、
Jimmyはなかなか抜け出せずに
苦しんだ挙句の事件であった。
バンドは最大の危機を迎えたが、
まだ多くのツアー予定を抱えていたため、
急遽後任に元FilterのMatt Walkerを迎え、
残りの公演をこなすことになる。
Mattを迎えツアーが一段落した後、
映画BATMANの主題歌
"The End is the Beginning is the End"を
リリース。PVにはMattも参加している。
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